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世渡りの狭さ広さ

ひきこもりという立場だと世渡りというものが狭く感じられると思う。
だから、因縁のありそうな人との遭遇は非常に恐怖だし、なかなか人間の奥深さがわかってこない。
ある待合室の出来事、お水商売のような服装の女性が待たされているのか
ハイヒールを大きい音で叩いている。
傍でみている人はうるさいというより「あ、この女ちょっとやばいなぁ」と感じる。
その待たした人は謝罪とともに女性を呼ぶ。
新人のようだった。
それをみている人はそれが社会だと考えたとき仕事をはじめたらこういう客を相手にするときがあるのだろう、と思う。恐怖でしかない。
現にバイトで接客商売をやれば必然的に遭遇する。
人間まともな人ばかりではない。そう感じる。
しかし、そういう人ばかりを意識すると逆にいい人に出会ったとき自分の人間観を恥じてしまう。
なにが人間というものを定義するのだろう。
非常に難問である。それは場当たりでいくらか経験しなければなかなかつかめないのかもしれない。
しかし、社会と知り合いではまた付き合い方が変わってきそうなところがまた困る。
他人はものすごい冷たいが知り合いにはやさしい人もいる。
あんなに怖い人が愛妻家なんてこともある。
実に謎だ。表面だけを触っていたのでは気づくこともできない。
社会の波というのは一見場当たり的にみえるが案外底が深く酸素をいれなければすぐに沈んでしまうようなものようにもみえる。
そこでひきこもりは底に沈むのがすごい恐ろしいことだと思うのではないだろうか。
泳げない心理と同じだ。
泳げないで深海に潜る勇気は一般人にもないだろう。
理論では解決できない問題がいくつもあることを知らなくてはいけないのか。
ひきこもりは頭がよさそうな人が多いらしい。
だが理論で解決できないことにはまったく臆病でしかないのかもしれない。
足りないところは明確なのだが臆病なのだ。
つまりは臆病だ。

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