8/13 九州三国志-竜造寺・島津人物伝
一昨日は非常に多く書きすぎたので他の勢力を書けなかった。
本がどんどん積まれていくのでなるべくまとめて書こうと思う。
まず龍造寺。
当主は龍造寺隆信、一代で龍造寺家を最盛に導いた別名「肥前の熊」。
その母慶誾(けいぎん)尼は秀吉から絶賛された女傑です。
隆信の父がなくなった際、鍋島清房に近づき再婚、
これにより鍋島家との絆が強化され、隆信に鍋島信生という義弟が誕生します。
信生、後の佐賀藩の礎となった鍋島直茂は、隆信にはない冷静さと知略によって
隆信を支えます。
龍造寺には武田の四名臣、徳川のように四天王が存在しました。
省略します。
最後に島津。
当主は島津義久。弟に義弘、歳久、家久がいます。
全員が有能という扱いを受けています。
義久は君主としての器量に優れ、義弘は戦闘に優れ、歳久は知略に優れ、家久は戦術に優れているといわれる。このことはいわゆる常勝軍団とも呼ばれる九州最強軍団の象徴でもある。
三勢力においても最も歴史に残る名将が所属している勢力、新納、上井、伊集院など。
今日はここまで
本がどんどん積まれていくのでなるべくまとめて書こうと思う。
まず龍造寺。
当主は龍造寺隆信、一代で龍造寺家を最盛に導いた別名「肥前の熊」。
その母慶誾(けいぎん)尼は秀吉から絶賛された女傑です。
隆信の父がなくなった際、鍋島清房に近づき再婚、
これにより鍋島家との絆が強化され、隆信に鍋島信生という義弟が誕生します。
信生、後の佐賀藩の礎となった鍋島直茂は、隆信にはない冷静さと知略によって
隆信を支えます。
龍造寺には武田の四名臣、徳川のように四天王が存在しました。
省略します。
最後に島津。
当主は島津義久。弟に義弘、歳久、家久がいます。
全員が有能という扱いを受けています。
義久は君主としての器量に優れ、義弘は戦闘に優れ、歳久は知略に優れ、家久は戦術に優れているといわれる。このことはいわゆる常勝軍団とも呼ばれる九州最強軍団の象徴でもある。
三勢力においても最も歴史に残る名将が所属している勢力、新納、上井、伊集院など。
今日はここまで
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