8/14-九州三国志-島津・龍造寺・大友の攻防
今日は秀吉の九州征伐が行われる手前まで書き残そうと思う。
この三勢力は基本的に中立勢力を取り込みながら勢力拡大を行っているため、
家臣団という結束は本州に比べると比較的薄い。
※本州とは日本で東京都を有する一番大きな島の部分である。他に北海道、四国、九州がある。
龍造寺はこの三勢力では最も弱小な勢力ではあったが、軍の強さはひけをとらなかった。
周りの豪族達を力によって平伏せ、キリスト教を布教していた宣教師達にとっては悪魔のような存在であったらしい。
しかしその勢力も島津家久の小数軍勢によって当主隆信が討ち取られ、龍造寺四天王も戦死、
別働隊として隆信とは別行動であった隆信の子とその補佐をしていた鍋島直茂は生き残るという
結果になった。
龍造寺が力を失った後最も勢力規模を誇っていたのが島津家である。
その島津家の九州統一は大友家を倒すことで可能となる。
この最終決戦は耳川の戦いと呼ばれる。
島津側の結束力が強いなか、大友では当主と家臣の宗教的な問題などで内部は乱れていた。
大友家内部では和睦派と強攻派の二勢力にわかれていたが
強攻派が耳川を渡り島津軍に突撃、後に大敗を喫した。
大友宗麟は勝ち目がないとみて秀吉に忠誠を誓い、援助を乞うた。
秀吉といえば、温情に篤い人である。すぐさま島津に停戦勧告を発した。
今日はここまで
この三勢力は基本的に中立勢力を取り込みながら勢力拡大を行っているため、
家臣団という結束は本州に比べると比較的薄い。
※本州とは日本で東京都を有する一番大きな島の部分である。他に北海道、四国、九州がある。
龍造寺はこの三勢力では最も弱小な勢力ではあったが、軍の強さはひけをとらなかった。
周りの豪族達を力によって平伏せ、キリスト教を布教していた宣教師達にとっては悪魔のような存在であったらしい。
しかしその勢力も島津家久の小数軍勢によって当主隆信が討ち取られ、龍造寺四天王も戦死、
別働隊として隆信とは別行動であった隆信の子とその補佐をしていた鍋島直茂は生き残るという
結果になった。
龍造寺が力を失った後最も勢力規模を誇っていたのが島津家である。
その島津家の九州統一は大友家を倒すことで可能となる。
この最終決戦は耳川の戦いと呼ばれる。
島津側の結束力が強いなか、大友では当主と家臣の宗教的な問題などで内部は乱れていた。
大友家内部では和睦派と強攻派の二勢力にわかれていたが
強攻派が耳川を渡り島津軍に突撃、後に大敗を喫した。
大友宗麟は勝ち目がないとみて秀吉に忠誠を誓い、援助を乞うた。
秀吉といえば、温情に篤い人である。すぐさま島津に停戦勧告を発した。
今日はここまで
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