9/5
だめだった。起きれなかった。
ふと思ったこと。
芯からもうダメだと思ったら死ねばいい。それまでは目標をみつけて精一杯生きればいい。
これはまったく個人的な記録です。
ふと思ったこと。
芯からもうダメだと思ったら死ねばいい。それまでは目標をみつけて精一杯生きればいい。
これはまったく個人的な記録です。
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9/4 ルービックキューブ
今日は外出する予定だったのだができなかった。
睡眠のなかでは本能的に現実逃避に走るのでなかなか起きれない。
普通の人とは違うもの
それは習慣づけれたものがないということだ。
人間として共通する困難は解決できるはずなのに。
なにがまずいのかはもうすでに記事にしてあるきがするので書かない。
さて、ルービックキューブをやっと一面完成することに成功した。
このできそうでできない居心地はなにかいまの自分が解決しなければいけない問題と
非常に共通点をもっているきがする。
完成してからまた記事にしてみようと思う。
睡眠のなかでは本能的に現実逃避に走るのでなかなか起きれない。
普通の人とは違うもの
それは習慣づけれたものがないということだ。
人間として共通する困難は解決できるはずなのに。
なにがまずいのかはもうすでに記事にしてあるきがするので書かない。
さて、ルービックキューブをやっと一面完成することに成功した。
このできそうでできない居心地はなにかいまの自分が解決しなければいけない問題と
非常に共通点をもっているきがする。
完成してからまた記事にしてみようと思う。
9/3 外出時の苦痛について考える
ひきこもりになると外界に対する交渉力が衰弱する。
それが自信減退へとつながり、いずれ恐れになり別世界のようになってくる。
どんな理由でこのようになったかに関係なく衰弱という言葉の意味するものは共通だろう。
また生物である以上、付随的な問題も当然ついてくる。
髪など外見への過剰意識、他人への過剰意識
意識から逃避し、必要性も失ったことによる不潔化
社会から枠を出てしまうと、生活循環も失われる。
不潔化もそうだが、ひきこもりが長期化すると社会での適応に苦痛を感じるようになる。
これが解決するのは私の経験上3ヵ月以上外中心の生活をすることだ。
一日3時間とかそういうことではない。一日8時間は太陽の光を浴びること。
図書館など室内での活動は社会との接触はあっても順応は難しい。
しめきった窓がある室内で体内循環は正常に働かないからだ。
他人と接触することで順応できると思っている人がいる。
だがこれは間違いではないが根本的にはそうではないことが経験によってわかった。
はっきりいって自分に正常な体内循環がなければ他人と接触しても正常な会話はできないし、
相手はおどおどした印象を受けるだけだろう。
これがなぜ起こるかは前述したとおり心が衰弱したことによる。
心の弱さは顔に出る。人は頼りないだけでは付き合いに支障はそれほどでない。
しかし、他人に迷惑をかけたら別だ。これが起こりやすくなるということが問題である。
話を変える。
家中心の生活から外中心の生活に戻ったする。
ここまできたら戻っては台無しだ。
ひきこもりになるような人はまた元の位置に戻りやすいと私の立場からするとそう思われる。
なぜそうなのかは、なぜひきこもることになったのかを考えず、脱出することだけを解決しようとした結果だ。
かなり有名な格言に「敵に勝つには己を知ること」がある。
つまり、「自分を理解せずして物事は解決しない」ということだ。
いろいろあるだろう。
いじめ、プライドの高さ、性格の悪さ、ストレス、コンプレックス・・・。
一見直りそうにないこともたくさんある。
ここで大事なのは問題から逃げないことだ。
逃げるからまた再発する。
シンプソンズに出てくるフランダースはシーズン後半で最愛の妻をなくしてしまう。
部屋には彼女の写真がたくさんおかれている。
その隣人ホーマーシンプソンはなんとかしてやろうと、彼の家から妻の遺品をすべて捨ててしまう。
ここでいえることは盆栽でも似たようなことがいえる。
美しくみせるためには不必要な部分を切断しなくてはいけない。
そのままにしておけば伸びるだけ伸びていく。
その不必要な部分を切ればそれだけ他の部分が成長していくことができるのだ。
とても重要なことだと思う。
ひとつの人生としてできてしまったものを切り捨てるのは難しい。
しかし、それを捨てなければ本体もろとも消えてしまうことだろう。
精神的疾患が原因の自殺もそのひとつだろう。
それが自信減退へとつながり、いずれ恐れになり別世界のようになってくる。
どんな理由でこのようになったかに関係なく衰弱という言葉の意味するものは共通だろう。
また生物である以上、付随的な問題も当然ついてくる。
髪など外見への過剰意識、他人への過剰意識
意識から逃避し、必要性も失ったことによる不潔化
社会から枠を出てしまうと、生活循環も失われる。
不潔化もそうだが、ひきこもりが長期化すると社会での適応に苦痛を感じるようになる。
これが解決するのは私の経験上3ヵ月以上外中心の生活をすることだ。
一日3時間とかそういうことではない。一日8時間は太陽の光を浴びること。
図書館など室内での活動は社会との接触はあっても順応は難しい。
しめきった窓がある室内で体内循環は正常に働かないからだ。
他人と接触することで順応できると思っている人がいる。
だがこれは間違いではないが根本的にはそうではないことが経験によってわかった。
はっきりいって自分に正常な体内循環がなければ他人と接触しても正常な会話はできないし、
相手はおどおどした印象を受けるだけだろう。
これがなぜ起こるかは前述したとおり心が衰弱したことによる。
心の弱さは顔に出る。人は頼りないだけでは付き合いに支障はそれほどでない。
しかし、他人に迷惑をかけたら別だ。これが起こりやすくなるということが問題である。
話を変える。
家中心の生活から外中心の生活に戻ったする。
ここまできたら戻っては台無しだ。
ひきこもりになるような人はまた元の位置に戻りやすいと私の立場からするとそう思われる。
なぜそうなのかは、なぜひきこもることになったのかを考えず、脱出することだけを解決しようとした結果だ。
かなり有名な格言に「敵に勝つには己を知ること」がある。
つまり、「自分を理解せずして物事は解決しない」ということだ。
いろいろあるだろう。
いじめ、プライドの高さ、性格の悪さ、ストレス、コンプレックス・・・。
一見直りそうにないこともたくさんある。
ここで大事なのは問題から逃げないことだ。
逃げるからまた再発する。
シンプソンズに出てくるフランダースはシーズン後半で最愛の妻をなくしてしまう。
部屋には彼女の写真がたくさんおかれている。
その隣人ホーマーシンプソンはなんとかしてやろうと、彼の家から妻の遺品をすべて捨ててしまう。
ここでいえることは盆栽でも似たようなことがいえる。
美しくみせるためには不必要な部分を切断しなくてはいけない。
そのままにしておけば伸びるだけ伸びていく。
その不必要な部分を切ればそれだけ他の部分が成長していくことができるのだ。
とても重要なことだと思う。
ひとつの人生としてできてしまったものを切り捨てるのは難しい。
しかし、それを捨てなければ本体もろとも消えてしまうことだろう。
精神的疾患が原因の自殺もそのひとつだろう。
横断歩道の話
ある歩道にいまたっている。
先を見渡すと一面はただの人気のない一本道。
これはせいぜい幼稚園あたりまでだろう。
そこをずっと先へ進んでいくとひとつの、信号のない、白線だけの横断歩道がある。
見覚えがある。
過去に渡ったところだ。
右から左、左から右激しい勢いで車が行き交っている。
まるで激流だ。
思わず怖気づく。
そこを難なく渡る人が私の顔をなんで渡らないのだろうというような顔でじっとみている。
呆然と渡る姿を見ておもいきって渡ろうとこころみる。
突然クラクションが鳴った。脊髄反射そのままに後ろを退けぞく。
野次が飛ぶ。顔面が蒼白になった。
大恥をかいた、そう思うとこの場にいられなくなってきた。
今日はこの辺にしておこう、私はそう重い足取りで来た道へ戻っていった。。。
スポーツもやるまではこんなの何が楽しいだろうと不思議に思う。
しかし、やってみると癖になるおもしろさ。
体を動かすのが楽しい証拠である。
これは私が考えた「渡れない横断歩道」の顕著な共通点だ。
横断歩道は車の間隔さえわかれば渡れるものだ。
それには慣れが必要だ。最初に渡れたときの安心感はひとしおだ。
しかし、これを拒んでいたら慣れることもできないし、
前述のように野次を受けるだけの人生だろう。
人気のない道にぽつんと立っているだけで果たして生きられるのか。
こうして自分の考えた話を顧みてみるとひとつの大きな点に気がつく。
必要なのは努力ではなく、慣れだということだ。
以上思いつきに書いてみた。
先を見渡すと一面はただの人気のない一本道。
これはせいぜい幼稚園あたりまでだろう。
そこをずっと先へ進んでいくとひとつの、信号のない、白線だけの横断歩道がある。
見覚えがある。
過去に渡ったところだ。
右から左、左から右激しい勢いで車が行き交っている。
まるで激流だ。
思わず怖気づく。
そこを難なく渡る人が私の顔をなんで渡らないのだろうというような顔でじっとみている。
呆然と渡る姿を見ておもいきって渡ろうとこころみる。
突然クラクションが鳴った。脊髄反射そのままに後ろを退けぞく。
野次が飛ぶ。顔面が蒼白になった。
大恥をかいた、そう思うとこの場にいられなくなってきた。
今日はこの辺にしておこう、私はそう重い足取りで来た道へ戻っていった。。。
スポーツもやるまではこんなの何が楽しいだろうと不思議に思う。
しかし、やってみると癖になるおもしろさ。
体を動かすのが楽しい証拠である。
これは私が考えた「渡れない横断歩道」の顕著な共通点だ。
横断歩道は車の間隔さえわかれば渡れるものだ。
それには慣れが必要だ。最初に渡れたときの安心感はひとしおだ。
しかし、これを拒んでいたら慣れることもできないし、
前述のように野次を受けるだけの人生だろう。
人気のない道にぽつんと立っているだけで果たして生きられるのか。
こうして自分の考えた話を顧みてみるとひとつの大きな点に気がつく。
必要なのは努力ではなく、慣れだということだ。
以上思いつきに書いてみた。
土壇場で逃げる癖
ある程度は我慢できるが土壇場で逃げてしまうのですべておしゃか
これが私の人生すべての敗因にからんでくる。
胸が苦しくなり息ができなくなり頭が凝り固まってしまう。
この状況がわかるだろうか。気が弱い人などはよくわかることだと思う。
いままで逃げてきた癖もだいぶからんでいることだろう。
どうしたら直せる。自問自答の末には相当難しい難題を抱えている自分がいる。
小さな岩はもてるが大きな岩になると動かすのでさえ難しい。
つまりはそういうことだ。
できることほど難しい。
逆に関心があるものほど易しい。
この現状をどうみるか考えを決め手からまた再度投稿するつもり
これが私の人生すべての敗因にからんでくる。
胸が苦しくなり息ができなくなり頭が凝り固まってしまう。
この状況がわかるだろうか。気が弱い人などはよくわかることだと思う。
いままで逃げてきた癖もだいぶからんでいることだろう。
どうしたら直せる。自問自答の末には相当難しい難題を抱えている自分がいる。
小さな岩はもてるが大きな岩になると動かすのでさえ難しい。
つまりはそういうことだ。
できることほど難しい。
逆に関心があるものほど易しい。
この現状をどうみるか考えを決め手からまた再度投稿するつもり
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